All things must pass

感情の備忘録

走り出したら、止まらない

日々の備忘録のために言葉を連ねていたこのブログも

もはやブログと言えるのだろうか、というレベルで更新していなかった。

いやはや、悪い。

 

社会人3年目、25歳、独身。

とある都内の番組制作会社務め、キー局の番組担当。

いわゆるテレビマン、それが今の僕です。

 

今の仕事に大きな不満は特にない。

時々殺してやろうかというレベルで多忙すぎることを除いて、

仕事にまつわる大きな不満のエトセトラは特に無いとしか言いようがない。

 

今の僕はそう、大きな不満を持たない、しがない男でしかない。

今現在、何者かになろうと、努力を重ねているわけでもないし、

日々の仕事で得られるスキルだけをつまみ食いしては吐き出しているに過ぎない。

 

そんな日々も悪くない。平坦でも確実に歩いている。

少し前まで、そう感じていた。

 

そういう日々だ。何か大きなことが起きるはずないとそう思っていた。

 

恋愛だってそうだ。

適当に出会って、適当に付き合って、運命とか感じないで適当に結婚して、

適当に子供出来て、適当に老後を過ごして、適当に死んでいく。

多分、そういうふうに大きな波も谷も無い中、適当さを謳歌しながら、

言うならば「つまらんけど普通だよね」っていう人生なんだろうなあと軽く思っていた。

 

諦めから生じたものではない。そういうものだと割り切っていたのかもしれない。

 

でも、そういう意味での「普通」にはなれない、

僕の人生は色んな意味でドラマチックに遷移するしかないんだと、

最近はそう悟っている。

 

今年の話をしよう。細かい話は除いて、大枠だけ説明する。

三者に「青春してるね」と言われることが多い。

自覚している、25にもなって未だに青春している。

 

1月。

変化はない。ゆうに自由自在な日々。

あるとしたら家族のとある病気の罹患。

すぐに治って、良かったねとそう安堵した。

早く孫を見せてね、そう急かされた。

そうだよね、って行動をしだした。

 

 

2月。

忙しかった。あんまり覚えていない。なんだろうな。

表面下で進めていた行動を、更に進めたくらい。

 

 

3月〜6月。

辛くても日々を頑張って生きている人に出会った。

その人と過ごしてきた日々は非常に短い、実に人生の0.1%にも満たないくらい。

特に大きなインパクトは無いけれど、こういう人もいるんだなとそう思った。

コロナで受けた影響は数知れず、大丈夫だよ、問題ないよと言う、

その本心を悟ることも、知ることも出来なかった。

今となってはどうでもいいことではある。

お互い頑張って生きようね、とそう思う。

 

 

7月。

変化がない。変化がほしいと、そう思っていたような気がする。

今のままでは生きている意味がない。

成長もないと、そう感じていたような気がする。

過去の精算をしよう。

避けていたことを掌返しした。

 

 

8月。

波乱。感情を露出することを避けていた僕は、それが露呈することを恐れていた。

でもなにかのキッカケで、ふと溢れ出したものは止まる様相を示さない。

走り出したら、止まらない。

理性で抑えられない。

多分きっと、昔から想っていたんだろう。

それが表面化することを、恐れていたんだなということを自覚した。

キッカケを掴めず勝算もないなか、その思いが露呈した時に

何も出来ず、言葉もかけられず、応援することしか出来ない。

 

後悔だけが募ることを承知の上で、諦めにも似た心の動きがあった。

 

当事者にならなければよかった。そう思うことさえあった。

やっぱり会わなければよかったな。そう後悔したこともあった。

でも7月の僕は「精算しなければ」と思っていた。

自家撞着を繰り返しながら、溢れる感情は、

救いたいだとか、救ってほしいだとか、

理解ってほしいだとか、理解りたいだとか。

 

自分勝手な思いを繰り広げながら、相反する現実から目を逸らせないでいた。

向き合おう、たとえ向き合ってくれなくても。

逃げるな自分から。職場の先輩から言われたその言葉がやけに響いていた。

逃げたくない。そう思っていた。

 

 

9月。

言わなければ伝わらないことは多々様々にあることを悟った。

普通の人なら、こういう心の動きがある中で、

我慢できなくて吐露してしまうんだろうな。

でも、我慢した。迷惑をかけたくなかった。

 

自分の中で溢れていた感情は、分かってほしいの表れだったかも知れない。

自分勝手で、100%の非があることを自覚していた僕は、

その感情を一方的に吐露することは、もはや罪であると思っていた。

 

やめよう。

そう思った。…やめたくない…。いや、やめよう!

2,3回同じことを繰り返した。

無為ながら無駄だ。

思い続けながら、傷ついていく感情に気づいていた。

 

9月24日、朝。やけに清々しかった。

いつの間にか、消えていたその感情は、諦めだったのだろうか。

成長の証だったのだろうか。

生まれ変わった気分だった。

 

同僚に連絡をした。やめたよ、ありがとう。って。

 

縁が切れないのであれば、また会えるよ。

そういう理想論だけ残したまま。

 

絶った。

 

 

10月。

今の自分。

無為なるものに生まれ変わった自分を自覚している。

報いやゴールのない感情を抱えたまま向き合うことが出来ている自分を自覚している。

7月のとき誓った、過去の精算は今でも続いている。

8月9月から直線上にあることを、そのまま続けているイメージだ。

 

時々「ダメ」を突きつけられながら、答え合わせをしている。

今更だって分かっていることも、

今更じゃないかもしれないっていう希望だけを抱いて。

 

そういう日々。

ドラマチックは続いていく。