「いつか」
物事の終わりというのは不自然で、一般的には無理やり区切るものだと思う。
だからこそネジレが生じる。不自然だと思いながらそれを眺める。
眺め続けて、いつしか忘れていく。一般的には。
妙に清々しい気分で過ごしていた時期を通じて感じた。
ロジックで説明がつくことほど良いことはない。
実際は何事も証明のできない感情に左右されるから、どう足掻いたとて覆せない事実に縋ることだってある。
だからこそ、終わりは無理やり区切るものだなと…前述したとおり。
ここでいて過去の自分を覆すようで申し訳ないんだけど、
今はやっぱ「忘れらんねえよな」という気持ちでいる。
ウジウジするの嫌だからって無理やり区切って忘れたふりしていることも、「一時的に感じていたことだから」と自分を納得させていたことも、年月の深さがそれを簡単にひっくり返す。
簡単な間柄じゃないでしょ? ってそう思ってしまう。その真実は置いといて。
どうだろう。どうなんでしょうね…。
多分ね、その答えはそうだろうね、としか言えないんだけど
一切隙のない壁に相対するほどの力があったとは思えない。
だってずっと落ち込んでいたんだから。
ごめんね、としか言えないなって思っていたんだから。
物事を一義的に捉えていたから気づけなかったことが多すぎる。
本当はいろいろな選択肢や世界があって、それを俯瞰的に見ていいとこどりできたかもしれない。
体よく言えば「大切にできたかもしれない」。
それができるほどの技量があれば良かったなと素直に思うし、それが出来ている今が逆に憎くすらある。
焦っていたんだと思う。今思えばそれは最悪な選択肢だったんだけど。
二度と目を背けないと思っていたことも、後々で感情任せに覆した。
だから、つくづく最低な人間だったと自分をそう評する。
だからこそ、ごめんねとしか言えないって思っていた…前述したとおり。
ヤマアラシのジレンマだと、それは事実で覆しようもなかったから、
傷つきたくないし傷つけたくない。現状のバランスを保つほかないんだろうと。
自分が過ごすこの世界は、思い出すファクターばかり。
辛くてしょうがない時もまだあったりする。
いつかちゃんとバランスを保てるようになるまで、急激な浮き沈みが起きないようになるまで、どれほどの時間がかかるだろう!!ってまだ思っている。
この気持ちが綺麗だなんて微塵も思っていないし、こと半分はエゴでしかない。
だから未来を望むということを口にすることが憚れる。
でもやっぱり、そう思えること自体を大切にしたい。
不自然な終わりを望んでいない。
今は無理だなって、バランスを保てないって思うから、抽象的にしか望めない。
今言えることは、
いつか、ね。